介護用の肌着って、ここでも売っているんだ!って思った話
介護用品ってどこで売っているんだろう?そう唐突に思っていたある日のこと。
母の肌着が必要だという話になった。
通常売っている肌着でも良いのだが、介護用の肌着があればより良いのではないか。
そう思った私は、介護用肌着を買うことにした。
・・・でも待てよ。。。
介護用肌着ってどこで売っているんだろう??
ネットショップで買えば良いのかもしれないけれど、今すぐに欲しいんだよなぁ。
そんなことを思いながら、何となく近所の「しまむら」へ行ってみた。
すると、そこに介護用の肌着が売られていたのだ。
しまむらに置いてあるとは、何と便利なこと。
こういう普段行くようなお店に、ちゃんと介護用品って売っているんですね。
しまむらに感心してしまった日の話。
憶えていてくれてること
昨日、今日と久しぶりに母に会いに行ってきた。
3週間くらい土日に予定が入っていたため、地元に帰れなかったのだ。
久しぶりに会うということで、私には少しの不安があった。
私の名前を忘れてしまっていたらどうしよう・・・と。
そんな不安を抱えつつ、母の元へ行った。
母は私を見るなり手を振ってくれて、いろいろと話をした。
それでも私は不安を拭えないまま、いつものように母と話をした。
そんなこんなで話をしていると、話の途中で私の名前を呼んでくれた。
とってもほっとした。
良かった、私の名前を憶えていてくれてと思った。
いずれは分からなくなってしまう時が来ると思うけれど、いま憶えてくれていてありがとうと思った。
ふと考えたこと
先日、知人の結婚式があった。
とても素敵な式で、家族にも周りにも、とても愛されている方々なんだなぁと思う、とてもほっこりと温かい式だった。
そこで、ふと考えた自分のこと。
この先、自分が結婚することになって結婚式をあげたとしても、母はその場にいることはないんだなということ。
結婚式・・・もし自分があげることになったら、母はきっとものすごく喜んでくれたと思うし、いろんなアドバイスをくれたと思うし、式場でとっても感動してくれたと思う。
でも、それはもう叶わないことになってしまった。
そう思うと、すごく寂しい気持ちになった。
式場に来れなくても、報告することはできるから、来れるか来れないかはそれほど大きい問題ではないとは思うのだけれど。
でもさ、やっぱり来てもらいたいもんじゃん、とも思う。
まぁ、自分が結婚できたらの話なんだけれども。。
車いすを押すのは、思っていたよりも難しい
車いすって、楽に押すことができますが、案外コツが必要なものなのかもしれないと思っている。
母は入院してから車いすに乗っている。
必然的に、私が「車いすを押す」という機会がある。
小中学生の時に、車いすを押したことはあった。
でもそれは、数メートルだけのことで、スムーズに動くんだなぁ程度しか分からなかった。
今も病院や介護施設の中であれば、スムーズに動かせるし、難しいと思うことはほとんどない。
でも、外に出ると少し違う。
道路はボコボコしているし、段差も多い。
普段歩いている時には気づかなかった、ちょっと斜めになっているような所も気になる。
私が最も難しいと思うのは、段差を超える時。
ちょっと車いすのキャンスターを上に上げないといけないのだけれど、これがなかなか上手くできない。
車いすに付いているバーを足で踏んで、車いすのキャスターを上げれば良いのだが、スムーズにいかないんだよなぁ。
車いすの押し方を調べてみると、図では簡単そうに見えるのだけれど、思っているよりも難しいし、コツというか慣れが必要だと個人的には思っている。
もう少し上手く押せるようになりたいと思う今日このごろ。
変わる日常
このブログは、時系列を気にせず書いていこうと思っています。(時系列に沿って書いた方が見やすいのは分かっているのですが・・・)
今日は、気づいたら変わってたなと思ったこと。
母が認知症と診断されてから、日常が変わった。
実家に帰ると、父しかいないこと。(母は介護施設に入っているからなんだれども。)
一人暮らししてから、ほぼ毎週休日に実家に電話していたのだけれど、電話をしなくなった。
その代り、ほぼ毎週実家に帰るようになった。
ふと、こんな時母に相談してたら何て言ってくれただろうと考えるようになった。
ざっと、こんな感じ。
自然にいろんなことが変わっていった。
介護についてまだまだ分からないことだらけだし、行きあたりばったりの部分が多い。
父は、そのことが不安そうだが、どうなるか分からないってことの方が多いから、今できることを少しずつやっていくと言っていた。
今後、どんなことが起きるか分からない。
もしかしたら、母が私のことを忘れてしまうかもしれない。
いつか来てしまうであろう、そんな未来について考えると私はすごくショックだ。
だから私はできるだけ毎週実家に帰って、母のいる施設に行って、母に顔を見せるようにしている。
それでも来てしまうかもしれないショックなこと。
抗えないし、自然なことなのかもしれないけれど、その時私はちゃんと受け止められるだろうか。